paw prints

だれかの足跡

無題

初夏にもなっていないというのに喫茶店のなかは少し蒸している。アイスコーヒーの冷たさが奥歯にしみる。彼女は目の前でアイスティーのグラスをゆらしている。カラカラと氷がまわる。水滴が彼女の華奢な指を濡らす。僕はその指を普段握っている彼奴を思い出してしまった。

「ねぇ、彼のどこが好きなの?」
ぴたりと氷のまわる音がとまった。彼女はゆっくり瞬きをして僕を見つめる。
「いきなりだね、どうして?」
「なんとなく、なんとなくだよ。」
彼女は手元のアイスティーへと視線を落とす。僕は彼女をみつめる。どうか、どうか…そんな期待がグラスを握る手に力を込めさせる。
「そうだね…。彼は優しい。」
「優しいところが好きなの?」
彼女はゆっくりと首を振る。カラン、と僕の手の中で氷が音を立てた。
「優しいから好きなんじゃない。ただ、彼といると優しい気持ちになれるの。だから彼といるの。だから彼が好きなの。」
彼女は顔を伏せたまま、もう一度ゆっくりと瞬きをした。その瞼の裏にはきっと彼奴の姿がくっきり浮かんでいるんだろう。
「そっか。ただでさえ暑いのにもっとあつくなっちゃたよ。」
彼女は恥ずかしそうに微笑んだ。

僕は氷の溶けたアイスコーヒーを一気に飲み干した。ぬるい苦みが口の中に広がる。思わず僕はグラスに残った氷を噛み砕いた。やっぱり冷たい氷が奥歯にしみた。


彼女が彼を好きな理由